ある時は
日記のようだったり
持論を語ってみたり
理解不能に叫んだりする
そんな使い勝手のいいブログ
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昔の軍人さんは、さぞやお固くて恐い人達ばかりだったんだろうと、つい最近まで思い込んでました。
が、最近、ジパングの影響でか、太平洋戦争中の回顧録なんかを読む機会が増えました。良い事だ。
んで、この回顧録とか回想録って面白いんですわ〜。面白がってはイカンとも思うんだけど。何が面白いって、スゴい主観で語られているので、戦闘時の臨場感が味わえるワケなんですね。味わっていいのか・・・以下略。
以下は、ジパングともあまり関係ないし、話長いしつまんないのですが、見たい人は続きをどうぞ。
が、最近、ジパングの影響でか、太平洋戦争中の回顧録なんかを読む機会が増えました。良い事だ。
んで、この回顧録とか回想録って面白いんですわ〜。面白がってはイカンとも思うんだけど。何が面白いって、スゴい主観で語られているので、戦闘時の臨場感が味わえるワケなんですね。味わっていいのか・・・以下略。
以下は、ジパングともあまり関係ないし、話長いしつまんないのですが、見たい人は続きをどうぞ。
主に海戦に関わる著書を読んでみた訳なんですが、非常に萌える話が沢山あったので、ちょっと紹介。・・・・やっぱり萌えちゃイカンのでは以下略!
話は唐突ですが・・・
沖縄に水上特攻で突っ込んだ「大和」最後の艦長さんは、有賀幸作というお人だったんです。「男たちの大和」にも出てる。
海軍兵学校45期(だったかな)出身で、成績は真ん中くらい。
有賀さんはとにかく無口で、奥さんの話によると「頭に来るぐらい」だったそうだ。男は多く語らない・・・と思いたい。しかし子煩悩で、お弁当持ってピクニックに行ったり釣りに連れて行ったり、お花摘みにいったりと、子供を大変かわいがっていたようです。こういうお父さん、好きです。お花摘みが特にカワイイ。
有賀さんの勤務は、駆逐艦司令や巡洋艦の艦長など、あまり華々しさはなかったものの、なにより艦の上に居る事が嬉しいようで、一種仕事中毒っぽかった。のかな?
有賀伝説で、多分最も有名なのは、巡洋艦「鳥海」艦長時、サイパンでデング熱という熱病にかかり、度重なる戦闘で疲労していたせいもあり、病状は深刻だった。艦から下ろすのも危険という有様。有賀さんは「死ぬなら船の上」とダダこねたせいもあるかもしれない。
この時、同期だった平出英夫大佐が、「死んでも良いから艦から下ろせ!」と無理矢理下ろして入院させ、内地に戻してしまった。同期で親友だから言えるこの台詞。好き過ぎ!!
ついでに有賀さんは酷い水虫で、戦闘中に、衛生兵に水虫を見てもらいながら指揮したという伝説も残ってます。
カッコいい伝説も残ってます。
山本という少尉が、駆逐艦「雷」の乗員に命じられた時、その時の艦長が有賀さんだったんだけど、その有賀艦長に
「これから三カ月の期限を切って、艦長は君とペアを組み、当直将校と哨戒長の勤務について特訓を行なうことにする。万一、三カ月たっても一人前になれなければ、艦を下りてもらう」
と言われ、えらいところに嫁いでしまった!と思ったらしい。(嫁いでない)
右も左も解らん新人だった山本くんは、泣きながら(?)頑張った。それはもう、オゾマしい限りのしごきだった模様です。
そして、そんな嫁いびり(違)に耐え、徐々に自信をつけて行ったわけなんだけれども、艦長から直接お褒めの言葉を賜る事はなかったのでありました。
で、その年の訓練が終了して研究会が行われた時、先任将校から「お偉方の前で、お前の事を自慢していた」という話しを聞き、感激したそうだ。やはり男は多くを語らず・・・!
その後山本くんは、駆逐艦「如月」の航海長に任命されたんだけど、「如月」の艦長は口やかましい人で有名だったそうな。
訓練も終わり、そろそろ解散しようとしてると、艦長に呼び止められた。何かしでかしたかと内心ドキリとしたそうだが、どこで修行したかと聞かれ、有賀艦長の名前を出すと艦長は破顔して、「有賀さんに仕込まれたか。若いのにしっかりしていると思ったが、有賀さんに鍛えられたのなら上手いはずだ」と言われたそうだ。
辛くても、こういう結果が出てくる上司だったら、マジいくらでもついて行きます!
その後、有賀さんは5代目大和艦長になるわけだけど、着任から数ヶ月後、水上特攻で戦死。有賀さんは総員退艦を出した時、側に居た兵を「とっとと退艦しろー!!」と、海に投げ込んでいた模様です。確実に艦と運命を共にするため、どっかに身体を括り付けたとも。
この時、側に居た見張りの兵が思わす、食べ残しのビスケットを有賀さんに渡している。有賀さんはそれを受け取ると、口に放りこんでニヤッと笑ったそうだ。
食べ残しのビスケットはどうかと思ったが、私がこの状況だったら、私も渡しそう。つか、艦に残りそう(え?)いっしょに死にます!みたいな。当時の兵の心理が、最近理解出来るレベルに勝手に達している私は、今なら特攻とかでも出来そうな気がしてならないよ!(アブネー
個性豊かな人が結構居た日本帝国軍人さんの方々。かっこいいのは当たり前だけど、たまに見えるこのお茶目っぷりが、酷く愛おしいですな〜。
実在の人物に萌えるって、久しぶりっつか初めてです。
話は唐突ですが・・・
沖縄に水上特攻で突っ込んだ「大和」最後の艦長さんは、有賀幸作というお人だったんです。「男たちの大和」にも出てる。
海軍兵学校45期(だったかな)出身で、成績は真ん中くらい。
有賀さんはとにかく無口で、奥さんの話によると「頭に来るぐらい」だったそうだ。男は多く語らない・・・と思いたい。しかし子煩悩で、お弁当持ってピクニックに行ったり釣りに連れて行ったり、お花摘みにいったりと、子供を大変かわいがっていたようです。こういうお父さん、好きです。お花摘みが特にカワイイ。
有賀さんの勤務は、駆逐艦司令や巡洋艦の艦長など、あまり華々しさはなかったものの、なにより艦の上に居る事が嬉しいようで、一種仕事中毒っぽかった。のかな?
有賀伝説で、多分最も有名なのは、巡洋艦「鳥海」艦長時、サイパンでデング熱という熱病にかかり、度重なる戦闘で疲労していたせいもあり、病状は深刻だった。艦から下ろすのも危険という有様。有賀さんは「死ぬなら船の上」とダダこねたせいもあるかもしれない。
この時、同期だった平出英夫大佐が、「死んでも良いから艦から下ろせ!」と無理矢理下ろして入院させ、内地に戻してしまった。同期で親友だから言えるこの台詞。好き過ぎ!!
ついでに有賀さんは酷い水虫で、戦闘中に、衛生兵に水虫を見てもらいながら指揮したという伝説も残ってます。
カッコいい伝説も残ってます。
山本という少尉が、駆逐艦「雷」の乗員に命じられた時、その時の艦長が有賀さんだったんだけど、その有賀艦長に
「これから三カ月の期限を切って、艦長は君とペアを組み、当直将校と哨戒長の勤務について特訓を行なうことにする。万一、三カ月たっても一人前になれなければ、艦を下りてもらう」
と言われ、えらいところに嫁いでしまった!と思ったらしい。(嫁いでない)
右も左も解らん新人だった山本くんは、泣きながら(?)頑張った。それはもう、オゾマしい限りのしごきだった模様です。
そして、そんな嫁いびり(違)に耐え、徐々に自信をつけて行ったわけなんだけれども、艦長から直接お褒めの言葉を賜る事はなかったのでありました。
で、その年の訓練が終了して研究会が行われた時、先任将校から「お偉方の前で、お前の事を自慢していた」という話しを聞き、感激したそうだ。やはり男は多くを語らず・・・!
その後山本くんは、駆逐艦「如月」の航海長に任命されたんだけど、「如月」の艦長は口やかましい人で有名だったそうな。
訓練も終わり、そろそろ解散しようとしてると、艦長に呼び止められた。何かしでかしたかと内心ドキリとしたそうだが、どこで修行したかと聞かれ、有賀艦長の名前を出すと艦長は破顔して、「有賀さんに仕込まれたか。若いのにしっかりしていると思ったが、有賀さんに鍛えられたのなら上手いはずだ」と言われたそうだ。
辛くても、こういう結果が出てくる上司だったら、マジいくらでもついて行きます!
その後、有賀さんは5代目大和艦長になるわけだけど、着任から数ヶ月後、水上特攻で戦死。有賀さんは総員退艦を出した時、側に居た兵を「とっとと退艦しろー!!」と、海に投げ込んでいた模様です。確実に艦と運命を共にするため、どっかに身体を括り付けたとも。
この時、側に居た見張りの兵が思わす、食べ残しのビスケットを有賀さんに渡している。有賀さんはそれを受け取ると、口に放りこんでニヤッと笑ったそうだ。
食べ残しのビスケットはどうかと思ったが、私がこの状況だったら、私も渡しそう。つか、艦に残りそう(え?)いっしょに死にます!みたいな。当時の兵の心理が、最近理解出来るレベルに勝手に達している私は、今なら特攻とかでも出来そうな気がしてならないよ!(アブネー
個性豊かな人が結構居た日本帝国軍人さんの方々。かっこいいのは当たり前だけど、たまに見えるこのお茶目っぷりが、酷く愛おしいですな〜。
実在の人物に萌えるって、久しぶりっつか初めてです。
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人って愛しいなあと思います。
(珍しく真面目に書き込んでみる)